中国洛陽出土銅鏡と日本弥生時代出土銅鏡の比較研究
【研究分野】考古学
【研究キーワード】
銅鏡 / 漢代 / 洛陽 / 弥生時代 / 画像鏡 / 方格規矩鏡 / 内行花文鏡 / 朝貢 / 漢式鏡 / 洛陽工作站 / 後漢の首都 / 考古第1隊 / 日本列島 / 後漢 / 周縁国家 / 朝貢冊封関係 / 東アジア交流 / 悉皆調査
【研究成果の概要】
東アジア各地の紀元前2世紀から紀元後6世紀の考古遺跡の年代は、主に中国の前漢と後漢時代に鋳造された銅鏡によって決定している。前漢の銅鏡については、すでに鮮明な図録が刊行されているが、後漢の首都であった洛陽の銅鏡については、1960年代初期にその一部が刊行されているに過ぎなかった。このような状況は、日本列島の弥生時代と古墳時代前期の実年代においても、従前からの定説を不安定なものとしきた。
我々は中国当局との共同のもと2005年から3年にわたり、洛陽の漢代銅鏡の悉皆調査を計画、実施した。調査に提供された銅鏡は、洛陽市文物工作隊(1隊・2隊)、洛陽市博物館、中国社会科学院考古研究所洛陽工作姑が、1949年以降の発掘調査によって収蔵された銅鏡である。その全ての分析には、若干の時間が必要であるが、初歩的分析によっても注目すべき状況を知ることができた。
第1は、洛陽出土鏡は後漢末期を除いて、南方系の銅鏡がほとんど出土していない。後漢末期の南方系の銅鏡は、大形の紹興鏡が数面出土するのみで、また中形の画像鏡も数面と非常に少ない。中形の画像鏡は、日本で多く出土していることから、洛陽を経由することなく日本に伝えられた可能性が強いと推定できる。
第2は、後漢後期の大形の方格規矩鏡と内行花文鏡が洛陽城の西方に多く分布し、東方に少ないことである。両鏡種は日本で最も多く出土する。日本は洛陽城の東方に位置し、いわゆる東夷に属する。日本で最も中心となる鏡種が、洛陽城の西方に多く分布することは、説明がつかないといえる。
第3は、かつて調査を実施した山東系の草葉文鏡が、洛陽出土鏡の総数に対して比率が低いことである。これは後漢代の銅鏡が、鋳造地から最大の消費地である首都に集中してのち、各地方で流通することを積極的に肯定できないことを示している推認できる。
【研究代表者】