翻訳と東アジア――近代日本におけるPhilosophyの翻訳と植民地朝鮮への伝播
【研究分野】思想史
【研究キーワード】
翻訳 / 東アジア / 哲学 / Philosophy / 近代学制 / 文学 / 新漢語 / 京城帝国大学 / 哲学科 / 漢字翻訳語 / 普遍性
【研究成果の概要】
本研究の目的は、近代東アジアの歴史を「翻訳の東アジア」という概念を用いて、新しく展望することであった。この目的を達成するために、H31年度においては、近代学制の生成過程について新たなアプローチを行った。「哲学科」の受け皿としての文学部というものは、いかなる過程を経て形成されたのか。新漢語の学制における振り当ては、いかに行われたのか。蕃書調所の独立(1857)後、その教育内容は専ら外国語の教育に集中されたのであり、その目的は西洋の技術・自然科学を習得することであった。「理学」という言葉は、華英辞書類においてPhilosophyの翻訳語として統一性を見せる一方、蘭学者たちによってPhysicsを指す際に用いられる。開成所規則(1864)以来、はじめて「理科」という学問分類の範疇が誕生したのは、大学規則(1870)であった(教・法・理・医)。大学規則において「理科」は、これまで開成所で教育・研究してきた西洋の技術・自然科学方面の科目を網羅する範疇となった。それに比べると「文学」という名称は、1877年東京大学の発足の当時、はじめて生まれた範疇名である。H31年度の研究では、近代学制の定着過程において既存の言葉が新たな範疇名になる過程を、学制史を細かく追跡することで明らかにし、文科および理科が非対称的な関係であったことを明らかにした。また、この成果をまとめて2019年9月のJEASC(Joint East Asian Studies Conference)で研究発表を行い(2019年9月4日、於、エディンバラ大学)、研究論文を発表した(『翰林日本學』35集、2019年12月発行済)。さらに、これまでの研究成果をふまえた単著『philosophyから「哲+學」へ 』(文理閣)を刊行した。
以上、主に許によって行われた研究に加えて、齋藤は韓国延世大学校における報告および共著『「国書」の起源』などによって、明治初期の翻訳と学制の問題について考察を深め、一定の見取り図を示した。
【研究代表者】
【研究種目】特別研究員奨励費
【研究期間】2017-11-10 - 2020-03-31
【配分額】1,500千円 (直接経費: 1,500千円)