高速原子間力顕微鏡が捉えた乳癌治療薬フルベストラントの新たな作用
エストロゲン受容体の「かたち」と「動き」の変化を可視化 理学研究院 松島綾美 教授
【注目の成果:共同研究・産学連携のためのチェックポイント】
![]() | フルベストラントが受容体を分解へ導くために、その状態と動きそのものを変える薬であることを示し、次世代の乳癌治療薬開発に新たな指針を与えると期待 |
【産学連携対象 全学共通分野 Discovery Saga】
【持続可能な開発目標(SDGs)】
【Sagaキーワード】
水溶液/高速AFM/ホルモン受容体/持続可能/持続可能な開発/AFM/ナノメートル/原子間力顕微鏡/高速原子間力顕微鏡/タモキシフェン/子宮/子宮内膜/子宮内膜症/エストラジオール/ホルモン/性ホルモン/エストロゲン/エストロゲン受容体/タンパク質分解/核内受容体/受容体/生体分子/立体構造/遺伝子
2026.09.29
研究成果Life & HealthPhysics & Chemistry
発表のポイント
乳癌治療薬フルベストラント(選択的エストロゲン受容体分解薬、SERD)(※1)が結合した全長エストロゲン受容体α(以下、ERα)(※2)の1分子動態を、高速原子間力顕微鏡(高速AFM)(※3)を用いてリアルタイムに直接可視化することに成功。色々な薬剤を試験した中で、フルベストラント結合時のERαだけが、見かけの分子体積が有意に小さくなり、観察面上での動きが速くなることを発見。
フルベストラント結合時に特徴的な、伸び縮みを繰り返す「ひも状」構造を観察。天然変性領域(※4)の露出・可動化が示唆され、フルベストラントが「受容体を分解へ導く薬」であるだけでなく「受容体分子の状態と動きそのものを変える薬」であることを提唱。
発表概要
九州大学大学院理学研究院の松島綾美教授らの研究グループは、金沢大学ナノ生命科学研究所(WPI-NanoLSI)/新学術創成研究機構のリチャード・ウォング教授らとの共同研究により、乳癌治療薬フルベストラントが結合したエストロゲン受容体α(以下、ERα)分子の「かたち」と「動き」を、高速原子間力顕微鏡(以下、高速AFM)でリアルタイムに可視化することに成功しました。ERαは、女性ホルモンであるエストロゲンを受け取って遺伝子の転写を制御する核内受容体で、乳癌の進展に中心的な役割を果たします。乳癌治療薬フルベストラントは、ERαの働きを止めるだけでなく受容体そのものを分解へ導く「選択的エストロゲン受容体分解薬(SERD)」ですが、その効果は、一般的なタンパク質分解機構では説明できず、薬が結合した全長ERαが分子としてどのような形と動きをとるのかは不明でした。
本研究では、薬剤の存在なし、17β-エストラジオール(E2)結合、フルベストラント結合、4-ヒドロキシタモキシフェン(4-OHT)結合の4条件を同一条件下で高速AFM観察しました。その結果、フルベストラント結合時のERαだけが、見かけの分子体積が有意に小さく、観察面上を有意に速く動き、伸び縮みする「ひも状」の柔軟な突起を頻繁に示すことを見出しました。
本成果は、フルベストラントが受容体を分解へ導くために、その状態と動きそのものを変える薬であることを示し、次世代の乳癌治療薬開発に新たな指針を与えると期待されます。
本研究成果は米国化学会の学術雑誌「The Journal of Physical Chemistry Letters」に2026年9月4日(金)(日本時間)に掲載されました。
参考図

薬剤の違いによって変化するエストロゲン受容体αの動き(左)と 表紙に採択されたイメージ図(右)
研究者からひとこと

本研究の発見に貢献した学生たち。左から順に、吉村さんと今川さん(金沢大)、荒巻さんと梶山さん(九州大)。
乳癌の治療薬として実際に使われているフルベストラントが、エストロゲン受容体という一つの分子に何をしているのか。細胞の中での観察では受容体の動きを止める薬という報告もされてきましたが、分子だけを見つめてみると、むしろ「よく動く」ようになる——この意外な結果を、本論文の共同筆頭著者である荒巻光汰さん(九大、博士課程2年)と、今川怜音さん(金沢大、修士課程1年)(当時)が根気強い観察の末に捉えてくれました。薬が効くとはどういうことかを、分子の動きという言葉で語れるようになる日を楽しみにしています(松島綾美)。
用語解説
(※1) フルベストラントと選択的エストロゲン受容体分解薬(SERD)フルベストラントは、エストロゲン受容体α(ERα)に結合してその働きを完全に止める「完全拮抗薬」であると同時に、ERαタンパク質そのものを分解へ導く薬で、選択的エストロゲン受容体分解薬(SERD: Selective Estrogen Receptor Downregulator)と呼ばれます。ホルモン受容体陽性の進行・再発乳癌の治療に用いられています。本研究で比較に用いた4-ヒドロキシタモキシフェン(4-OHT)は、乳癌治療薬タモキシフェンの活性本体で、組織によって拮抗薬にも作動薬にもなる選択的エストロゲン受容体モジュレーター(SERM)に分類され、フルベストラントとは作用の仕方が異なります。
(※2) エストロゲン受容体α(ERα)
エストロゲン受容体は、女性ホルモンのひとつであるエストロゲンを細胞内で感知するタンパク質です。エストロゲン受容体α(ERα)とエストロゲン受容体β(ERβ)の二種類が存在し、乳腺、子宮、骨、脳など体の様々なところに存在します。女性ホルモンが結合すると、細胞の中の標的遺伝子の転写を活性化して調節するスイッチのような役割を果たします。とくにERαは、乳癌や子宮内膜症などのホルモン関連疾患の発症・進展に深く関わることが知られています。
(※3) 高速原子間力顕微鏡(High-Speed Atomic Force Microscopy, 高速AFM)
非常に鋭い探針(先端が数ナノメートル)で試料の表面をなぞることにより、ナノメートル(10億分の1メートル)スケールの物体や分子の動きをリアルタイムで観察できる顕微鏡です。水溶液中でも測定できるため、従来の顕微鏡では見えなかったタンパク質やDNAなど生体分子の形や動く様子を、ビデオ動画のように観察できます。本研究では1秒あたり5〜10コマの速さで撮影しました。
(※4) 天然変性領域(Intrinsically Disordered Region, IDR)
タンパク質の中で、決まった立体構造をとらずに揺らいでいる領域のことです。かつては機能をもたないと考えられていましたが、近年は他の分子との結合やタンパク質の働きの調節に重要な役割を果たすことが分かってきました。ERαではN末端側とC末端側に天然変性領域が予測されており、本研究で観察された「ひも状」構造との関連が考えられます。
論文情報
掲載誌:The Journal of Physical Chemistry Lettersタイトル:High-Speed Atomic Force Microscopy Reveals Single-Molecule Dynamics of Fulvestrant-Bound Estrogen Receptor α
著者名:Imakawa, Reon; Aramaki, Kota; Kajiyama, Takeru; Yoshimura, Kota; Onohara, Towa; Lim, Keesiang; Wong, Richard W.; Matsushima, Ayami
※ Reon Imakawa と Kota Aramaki は同等に貢献した筆頭著者です。
J. Phys. Chem. Lett. (2026) 17 (37): 10594–10602
DOI:10.1021/acs.jpclett.6c01784
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