元素選択的X線分光により判明:ステンレスインバー合金では鉄とコバルトがともに熱膨張を抑制、鉄の寄与がより大きい(横山利彦 特任教授ら)
【産学連携対象 全学共通分野 Discovery Saga】
【Sagaキーワード】
測定誤差/金属元素/局所体/X線吸収分光/経路積分/高エネルギー/EXAFS/加速器/計算機シミュレーション/放射光/X線分光/モンテカルロシミュレーション/モンテカルロ法/シンクロトロン放射/シンクロトロン放射光/X線吸収微細構造/クロム/マンガン/原子構造/コバルト/シミュレーション/スピン/ひずみ/モデル化/熱処理/熱膨張/微細構造
2026/08/03
研究成果
発表概要
近年注目されている「インバー効果」(ほぼゼロの熱膨張)が、コバルトを含む複雑な組成のステンレスインバー合金(鉄・コバルト・クロム・ニッケル)において、元素ごとにどのように現れるかは明らかでなく、特に鉄とコバルトの比率のわずかな変化に対してどう応答するかは不明であった。研究チームは、鉄とコバルトの比率がわずかに異なる複数の面心立方(fcc)合金試料に対し、シンクロトロン放射光を用いた元素選択的X線吸収分光法とディラトメトリー(熱膨張測定)、さらに原子スケールのモンテカルロシミュレーションを組み合わせて解析した。その結果、鉄とコバルトはいずれも局所的に熱膨張を抑制するが、鉄の寄与の方が大きいこと、またこのバランスは組成のわずかな違いによっても測定可能な程度に変化することが分かった。同じ合金の未焼なまし(体心立方、bcc)版では、通常どおりの正の熱膨張を示し、インバー的挙動が焼なまし後のfcc構造に特有であることが確認された。これらの知見は、ステンレスインバー合金における元素選択的な磁気体積効果の理解を精緻化し、古典的な鉄-ニッケルインバーや、鉄の寄与がより支配的な関連合金コバールとの違いを明らかにするものである。ただし著者らは、鉄とコバルトの比率だけでは調べたすべての試料にわたる傾向を完全には説明できないと注意を促しており、結論は30~400 Kの範囲でのみ検討された少数の組成に基づくものである。インバー合金は温度変化に対してほとんど膨張・収縮しない性質を持ち、精密機器にとって重要な特性であるが、この「インバー効果」が複数の金属元素からなる複雑なステンレスインバー合金において、各元素ごとにどのように現れるかは明らかになっていなかった。研究チームはシンクロトロンX線吸収分光法と原子スケールの計算機シミュレーションを組み合わせ、コバルトを含むステンレスインバー合金中で鉄原子とコバルト原子が温度変化に対して個別にどう応答するかを測定した。その結果、両元素ともにこの効果に寄与するが、鉄の寄与がより顕著であり、その強さは鉄とコバルトの比率のわずかな変化によって変わることが示された。
鉄-ニッケルインバー合金が室温付近でほとんど熱膨張を示さないことは古くから知られており、これは磁気体積結合(magnetovolume coupling)によるものとされる。すなわち、鉄原子の局所的な磁気スピン状態が温度とともに変化し、通常の格子振動による膨張を相殺する現象である。しかし、鉄・コバルト・クロム・ニッケルを含むより複雑な多元系ステンレスインバー合金において、この効果が個々の元素レベルでどのように働くかは十分に理解されていなかった。同じ研究グループによる先行研究では、あるコバルト含有面心立方(fcc)ステンレスインバー組成(おおよそFe39Co50Cr9Ni2)において、鉄とコバルトの両方がインバー効果に寄与する一方、関連合金コバール(Fe53Co17Ni29)では鉄が支配的でコバルトの寄与ははるかに小さいことが示されていた。ステンレスインバー系内で鉄とコバルトの比率をわずかに変化させた場合にこの元素選択的な挙動がどう変わるか、また最終的な熱処理工程の前に得られる同じ母合金の非インバー的な体心立方(bcc)相が、焼なまし後のインバー挙動を示すfcc相とどう異なるかは未解明であった。
研究チームは、鉄とコバルトの比率がわずかに異なる4種類のfcc相ステンレスインバー合金試料(熱膨張挙動の違いに基づき、3つの合金の平均組成Fe39.0Co49.9Cr9.2Ni1.9からなる「試料A」と、1つの合金によるFe37.8Co51.3Cr9.0Ni1.9の「試料B」に分類)を用意し、これに加えて、ある組成の未焼なましbcc相版と、比較用のコバール合金を準備した。全体としての熱膨張はディラトメトリー(100~400 K)により、元素選択的な局所原子構造はシンクロトロン施設におけるクロム・鉄・コバルトのK吸収端広域X線吸収微細構造(EXAFS)分光法(30~300 K)により測定した。さらに、各元素のスピン状態挙動とそれに伴う格子振動をモデル化する経路積分有効古典ポテンシャルモンテカルロ法(PIECP MC)シミュレーションと比較した。
試料の長さが温度とともにどう変化するかを追跡するディラトメトリーの結果、試料Aの格子全体は100~200 Kの間でほとんど膨張しなかった(125 Kにおける膨張係数0.393 ± 0.006 ×10−6/K)のに対し、試料Bはその約5倍膨張した(2.152 ± 0.005 ×10−6/K)。この差は測定誤差より大きいものであった。ある種の原子とその最近接原子との距離を測定する元素選択的EXAFSにより、この違いは各試料における鉄とコバルトの挙動の違いに起因することが分かった。125 Kにおいて、試料Aでは鉄近傍の距離が昇温とともにわずかに収縮した(-1.3 ± 0.2 ×10−6/K)のに対し、コバルト近傍はわずかにしか膨張しなかった(0.82 ± 0.14 ×10−6/K)。一方試料Bでは、鉄はほぼ平坦であった(0.77 ± 0.42 ×10−6/K)のに対し、コバルトはかなり大きく膨張した(5.7 ± 0.4 ×10−6/K)。これは両元素とも膨張抑制に寄与するものの、鉄の寄与がより大きいことを示している。各原子の磁気的な「スピン状態」(より大きな局所体積に対応する高スピン状態と、より小さな体積に対応する低スピン状態)を追跡する計算機シミュレーションは、この傾向が生じる理由として、鉄はシミュレーションで扱った最低温度においてすでにかなりの低スピン成分(30%以上)を持ち、昇温とともにさらに低スピン側へ移行するのに対し、コバルトはほぼ完全に高スピン状態から出発し、この状態を徐々にしか失わないことを示唆している。シミュレーションは実験と同様の元素レベルの順序を再現したが、モデルAにおけるシミュレーション上の格子全体の係数は負の値(125 Kで-1.433 ×10−6/K)となり、実測されたわずかな正の値とは一致しなかったため、両者の一致はあくまで定性的なものにとどまる。一方、最終熱処理前に得られた同じ合金の未焼なましbcc相版は、格子全体および調べたすべての元素において、通常どおりの正の熱膨張を示し続けた(ディラトメトリーによる200 Kでの係数8.608 ± 0.013 ×10−6/K)。これは、インバー効果がfcc構造への焼なまし後にのみ現れることを裏付けている。このbcc相ではEXAFSにより、クロム原子周辺の原子間距離が鉄やコバルト周辺よりも一貫して長いことも示された。これは、比較的少数であるクロム原子の近傍に格子ひずみが集中している可能性を示唆するものであるが、証明するものではない。一方、fcc相への焼なまし後にはこれらの距離は近い値に収束した。
これらの結果は、このfcc相ステンレスインバー系の中で、鉄とコバルトがともに局所的に熱膨張を抑制する働きを持つこと、そして鉄の寄与がコバルトよりもやや大きいことを示している。これは、鉄単独が効果を担う古典的な鉄-ニッケルインバーとも、鉄が支配的でコバルトの寄与がはるかに小さい関連合金コバールとも異なる特徴である。この効果の大きさは、2つの試料群の間で鉄とコバルトの比率がわずかに変化しただけでも測定可能な程度に変化した。しかし著者らは、この比率だけではデータを完全には説明できないと注意を促している。というのも、調べた4種類の合金全体にわたって熱膨張はこの比率に対して単調には変化しなかったためであり、クロム含有量など他の未解明の要因の存在を示唆している。いくつかの方法論的な留意点が、結果の一般化可能性を制限している。すなわち、平均的なEXAFS距離を個々の原子対距離に分解するために用いた「一定原子半径モデル」、および実際には格子ひずみが存在すると予想されるにもかかわらず原子が理想的で歪みのない格子位置にあると仮定した理論的EXAFS標準は、いずれも定性的な傾向を示すことのみを目的とした近似である。また、クロムのEXAFS信号は微量のマンガン汚染により乱され、ニッケルの局所的挙動はそのEXAFS信号が弱すぎたため直接測定できなかった。PIECPシミュレーションは、実際の合金を近似する簡略化されたモデル組成と原子間ポテンシャルを用いており、試料間の定性的な傾向は再現したものの、ある組成では格子係数の符号が逆転するなど、定量的な厳密な一致には至っていない。これらの結論は、4種類のfcc合金(2つの試料群に分類)、1種類のbcc組成、および1種類のコバール比較合金という限られた対象について、30~400 Kの範囲でのみ検討されたものであり、他の鉄-コバルト比率、他の合金系、あるいは実用上重要となるより高温・機械的負荷条件へと直ちに一般化すべきではない。
論文情報
著者: Toshihiko Yokoyama, Hiromichi T. Fujii, Shingo Matsumura, Naoki Sakaguchiジャーナル名: Journal of Alloys and Compounds
論文タイトル: "Element specific local thermal expansion of Co-containing stainless invar alloys"
DOI:10.1016/j.jallcom.2026.189030
研究サポート
高エネルギー加速器研究機構物質構造科学研究所放射光共同利用実験課題 (課題番号:2025G033)関連グループ 1035 関連研究者
自然科学研究機構 研究