脳は友達への好き嫌いをどうアップデートさせるのか?
――社会性記憶と感情を柔軟に結びつける神経回路の解明――
【注目の成果:共同研究・産学連携のためのチェックポイント】
![]() | 社会性記憶と感情を結びつける神経回路メカニズムへの理解を深めるとともに、その破綻が関与すると考えられる精神・神経疾患の病態解明につながることが期待 |
【産学連携対象 全学共通分野 Discovery Saga】
【Sagaキーワード】
行動実験/人工知能(AI)/符号化/選択性/デジタル化/ダイナミクス/フィードバック/カルシウムイオン/シナプス/行動選択/神経活動/Ca2+/脳神経科学/C-Fos/機能的結合/ドーパミン/ニューロフィードバック/神経伝達物質/日常生活/光遺伝学/病態解明/MRI/イミン/カルシウム/マウス/遺伝子治療/自閉症/受容体/神経科学/神経回路/神経細胞/転写因子/うつ/うつ病/遺伝学/遺伝子/海馬/神経疾患/精神疾患/動物実験
2026年7月10日
/ 最終更新日時 :2026年7月1日
adiqb
行動神経科学研究分野
東京大学科学技術振興機構(JST)
発表のポイント
◆かつて親しかった相手に突然攻撃された際、その相手に対する嫌悪的な感情が脳内でどのように形成されるのかを解明しました。
◆特定の相手に対する嫌悪的な感情の形成は、相手についての記憶を貯蔵する「海馬腹側CA1」
の神経細胞と、感情中枢である「扁桃体」のネガティブな感情に反応する神経細胞の間の接続
が強くなるためだと分かりました。
◆特定の相手に対する感情を、人為的に生成すること・消去することに成功しました。

特定の相手に対して抱く好きと嫌い
(この画像は生成AIを利用して作成しました)
発表概要
東京大学定量生命科学研究所の奥山輝大教授、王牧芸特任研究員(研究当時)と、同大学大学院医学系研究科の須藤成俊大学院生、による研究グループは、特定の相手に対する嫌いという感情がどのように形成されるのか、その脳内メカニズムを明らかにしました。これまで同グループは、海馬の神経細胞が特定の相手についての記憶(社会性記憶)を貯蔵する仕組みを研究してきましたが、一方でその相手に対する「好き」「嫌い」といった感情が、相手との経験に応じてどのように変化・アップデートされるのかについては分かっていませんでした。本研究ではマウスの攻撃性を人為的に操作することで、「かつて親しかった相手に突然攻撃される」という状況を作り出し、特定の他者に対する感情の変化を調べる新たな行動実験系を確立しました。さらに神経活動の詳細な記録によって、特定個体に対する嫌悪的な感情の形成に伴い、海馬腹側CA1–扁桃体–側坐核という神経回路のシナプス結合や神経活動が変化することを明らかにしました。本研究成果は、日本時間2026年7月10日付のScience誌(オンライン版)に掲載されました。

図1:特定の他者に対する感情を形成する脳の仕組み
発表内容
私たちは日常生活の中でさまざまな人と出会い、その相手を記憶するとともに、過去の経験に基づいて「好き」「嫌い」といった感情を抱きます。社会関係は常に変化しているため、特定の相手に対する感情も、その相手との社会経験に応じてアップデートされます。これまでの研究から海馬腹側CA1領域(注1)が社会性記憶に重要な役割を果たすことを示してきましたが、このような相手への感情のアップデートを担う神経回路メカニズムはよく分かっていませんでした。まず本研究では、被験マウス(C57BL6系統オス)に2匹の異なる刺激マウスを提示し、それぞれの個体に対する社会性記憶を形成させました。その後、あらかじめ馴染みのあった刺激マウスの1匹を、遺伝学的手法を用いて人為的に「攻撃的な相手」へと変化させ、被験マウスに「かつて親しかった相手に突然攻撃される」という社会的敗北(注2)を経験させました。その結果、その特定個体に対する「情動価(注3)の更新(valence updating)」が生じ、その個体を特異的に忌避するように行動変化が起きました。
その後、光遺伝学的手法(注4)を用いて特定の神経回路を選択的に抑制したところ、海馬腹側CA1–扁桃体(感情に関わる脳領域)–側坐核(意欲や行動選択に関わる脳領域)からなる神経回路が特定個体に対する情動価の更新に必要であることが明らかになりました。さらに、特定個体に対する記憶と感情がどのように結びついているのかを調べるために、記憶そのものに実験的にアクセスすることで検証しました。具体的には、最初期遺伝子(注5)を用いて社会性記憶細胞を標識したところ、海馬腹側CA1の社会性記憶細胞から扁桃体の中の恐怖反応に関わる神経細胞へのシナプス結合が増強していることが分かりました(図2)。また、この細胞間のシナプス結合を人為的に弱めると、情動価更新によって生じる忌避行動は消失しました。

図2:海馬腹側CA1社会性記憶細胞–扁桃体回路におけるシナプス結合の増強
次に、扁桃体および側坐核において、特定個体に対する情動価の更新がどのように神経活動として表象されるのかを、Ca2+イメージング法(注6)を用いて解析しました。恐怖反応に関わる扁桃体の神経細胞は攻撃個体に対する応答性を増強する一方で、応答する細胞集団の割合には大きな変化を示しませんでした。これに対し、側坐核のドーパミンD2受容体発現細胞(注7)では、応答性の増強に加え、新たに応答する細胞群の増加がみられました。さらに、側坐核のドーパミンD2受容体発現細胞では、神経細胞群の同期的な活動も観察されました(図3)。これらの結果から、海馬腹側CA1での安定した社会性記憶の表象が下流の扁桃体-側坐核回路において、神経細胞集団レベルで再編成されることが分かりました。

図3:海馬腹側CA1–扁桃体–側坐核回路
さらに、海馬腹側CA1-扁桃体回路は特定個体に対する情動価の更新を選択的に担う一方で、扁桃体-側坐核回路は特定個体への回避行動だけでなく、より一般化した社会的回避にも関与することが分かりました。また、特定個体に対する神経活動パターンは日をまたいで徐々に変化する一方で、情動価が付与された個体に対する表現は、より安定化することも明らかになりました。
本研究は、脳が特定の相手に対する情動価を経験に応じて更新する仕組みを明らかにしたものです。社会性記憶と感情を結びつける神経回路メカニズムへの理解を深めるとともに、その破綻が関与すると考えられる精神・神経疾患の病態解明につながることが期待されます。
なお、本研究は東京大学定量生命科学研究所動物実験委員会の承認のもと実施されました。
関連情報
「プレスリリース① 他人を記憶するための海馬の仕組み-記憶痕跡(エングラム)にアクセスし、社会性記憶を操作する-」(2016/9/30)https://www.riken.jp/press/2016/20160930_1/ (外部リンク: 理化学研究所)
「プレスリリース② 「友達」を記憶する、海馬の神経活動パターン ~なぜ自閉症は友達を記憶しづらいのか?~」(2022/2/4)
https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/press/z0207_00056.html
「プレスリリース③ 脳は友達の性別をどう記憶する?-社会性記憶における他者情報の符号化様式-(2025/7/4)
https://www.iqb.u-tokyo.ac.jp/pressrelease/250704/
発表者・研究者等情報
東京大学定量生命科学研究所 附属高度細胞多様性研究センター 行動神経科学研究分野
奥山 輝大 教授
王 牧芸 特任研究員(研究当時)(現:国際基督教大学教養学部 助教)
大学院医学系研究科
須藤 成俊 大学院生(博士課程)
研究助成
本研究は、科学技術振興機構(JST)「創発的研究支援事業(課題番号:JPMJFR2143)」「戦略的創造研究推進事業 CREST(課題番号:JPMJCR23B1)」、「戦略的創造研究推進事業 ERATO(課題番号:JPMJER1801)」、日本学術振興会(JSPS)「科学研究費助成事業(課題番号:JP21H05140・JP24K02136・JP22K06481)」「特別研究員奨励費(課題番号: JP19J00911・JP22KJ1187・JP24KJ0828・JP22J11822・JP22J21085)」、日本医療研究開発機構(AMED)脳とこころの研究推進プログラム「高感度遺伝学MRI法による精神疾患全脳病態エングラムのリバース・トランスレーション研究」、再生・細胞医療・遺伝子治療実現加速化プログラム「難治性うつ病の遺伝子治療に関する研究開発」、脳神経科学統合プログラム「海馬と皮質間ネットワークによる安静時機能的結合ダイナミクスの解明に関する研究開発」「生成AIを用いた脳情報の逆相関探索と外部デジタル化」「生成/敵対AI・デジタル脳に基づく脳回路バイオマーカとニューロフィードバック治療に関する研究開発」、脳神経科学統合プログラム「他者への共感性を支える、自己と他者の情報の混合選択性の解析」、セコム科学技術振興財団の支援により実施されました。用語解説
(注1)海馬腹側CA1領域記憶中枢「海馬」の中で腹側(下側)に位置する領域。特に他者についての記憶を貯蔵する領域であることが分かっている。
(注2)社会的敗北
攻撃的な個体との接触によって、繰り返し攻撃を受ける経験。
(注3)情動価
対象に対して抱く「好き・嫌い」や「快・不快」などの感情的な価値。
(注4)光遺伝学的手法
光によって活性化されるタンパク質を神経細胞に発現させ、特定の波長の光を照射することでその活動を操作する技術。
(注5)最初期遺伝子
細胞への刺激に応答して迅速かつ一過的に発現が誘導される遺伝子。本研究では、c-fosという転写因子の活性化を用いて、特定のタイミングで活動した神経細胞を遺伝学的に標識した。
(注6)Ca2+イメージング法
神経細胞が活動すると細胞内のカルシウムイオン(Ca2+)濃度が変化する性質を利用し、多数の神経細胞の活動を可視化する手法。
(注7)ドーパミンD2受容体発現細胞
神経伝達物質ドーパミンを受け取る「D2受容体」を発現する神経細胞。側坐核では行動の抑制や回避行動に関与すると考えられている。
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雑誌名等
雑誌名:Science題 名:Neural circuits for valence updating in social memory
著者名:Narutoshi Suto†, Mu-Yun Wang†, Shota Morikawa, Myung Chung, Kentaro Tao,
Ziyan Huang, Yuji Ikegaya, Haruki Takeuchi, Shinichiro Kira, Teruhiro Okuyama*
(†共同筆頭著者、*責任著者)
DOI:10.1126/science.adx8231
問い合わせ先
<研究内容について>東京大学定量生命科学研究所 附属高度細胞多様性研究センター 行動神経科学研究分野
教授 奥山 輝大(おくやま てるひろ)
Tel:03-5841-2297 E-mail:okuyama @ iqb.u-tokyo.ac.jp
<機関窓口>
東京大学定量生命科学研究所 総務チーム
Tel:03-5841-7813 E-mail:soumu @ iqb.u-tokyo.ac.jp
科学技術振興機構 広報課
Tel:03-5214-8404 E-mail:jstkoho @ jst.go.jp
<JST事業に関すること>
科学技術振興機構 創発的研究推進部
東出 学信(ひがしで たかのぶ)
Tel:03-5214-7276 E-mail:souhatsu-inquiry @ jst.go.jp
東京大学 研究